犬と人と命と

実家には、14歳の犬がいる。わたしが14歳の時にやってきて、存在で心を癒したり励ましてくれたりと、小さな体で大きく支えてくれた。

昨日母と電話をしていて、一昨日ワクチン接種で動物病院に行った時、体重がいつもよりだいぶ減っていたから、血液検査をしたという。

14年変わらなかった体重だけど、年齢が年齢だけに念のためも含めての判断で結果は来週分かるそう。

 

1日の終わりに、ふとその事を思い出してすごく不安になる。

 

不安になると同時に、死んでいなくなる事を恐れるのは人間だけなんじゃないかとも思う。

検査して結果次第で治療してっていうのは人間の判断で、犬自体はその日その日を命の在るままに生きている。

一生懸命、今を生きてわたしの心を支えてくれてる。

なのに、少し先のことを不安にばかり思ってしまうのもどうかと思う。

一緒に今を生きることを大事にしなきゃと思う。

 

 

思うんだけど、わたしは人間だし、もしものことがあったら不安だし、医療の力で痛みや辛さを和らげられるなら、できる限り手を尽くしてあげたいとも思ってしまう。

人間のエゴなんじゃないかと思いながらも

両方の気持ちが複雑にある。

 

いずれにしても 手を尽くしても 生きとし生けるもの、命の長さには逆らえない。人間も動物も同じ。それだけは自分に言い聞かせておこうと改めて思う。

 

切ない夜、祈る夜。

光を探して

 

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眠りにつけない夜
あの曲がききたくて
寝室をぬけだした
階段を降りる前
灯のスイッチ押せば
壁に写る 豆電球の部屋
両親の寝息と 可愛い犬の気配
そこに在る ことをみつめたら

真っ暗な家の中
小さな灯りを手に
プレイヤー目指して歩き出す
階段の軋む音
足の裏から伝わる 畳の目 床の感じ
僅かな灯りに照らされる 生活の間

物の場所 時が変わっても
記憶の中の 今 そこに見えるよう
ひんやりとした空気 溶かされていく

プレイヤー手に取り
イヤフォンつけたら
リビングの椅子に腰掛け
眼差しは窓の世界
真っ暗な部屋と外
闇の中みたい
ときどき走る車のライトが
部屋の中通り過ぎたら
違う色の暗い世界

心と頭と 胸の奥の方 頭の上の方
そんなとこ からっぽにしたり
取り出して見つめたり
闇に似た世界
自分の中の奴らと会話する

此処でこうして居られるのは
スンと素直に 恐れずに
世界を見て居られるから
奥底から レーザービームの眼

不安も希望も未来も過去も時間も
わからなくなりそう
可笑しな このとき

在る という歓び
溢れ出す
噛み締めても
時の流れに
こぼれ落ちていく
せつなさと しあわせに
真っ暗な世界 過ぎてゆく

うん、うん

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時折 昔のことが ボールのように飛んでくる
ボールで窓ガラスが割れたみたいに
胸は痛む
えぐられるような苦しさと 悲しみに
痛む理由を 今の自分の中を知りたくて
何度も話した 話を
聞いてほしいと話してしまう

前も聞いたよ と言いつつ
うんうんと 聞いてくれる
その言葉に しょげつつ
まとまりなく 話しだす

次第に 穴も少し埋まり
頭と心のでこぼこ コロコロと整っていく
昔のことも あるべき場所に戻ってゆく

そんなことを くりかえしながら
乗り越えてきた
そんなことを くりかえしてきたから
乗り越えてこられた

雨の音 聴いて
耳に残る声 聴いて
そんなことを 浮かべて
眠るよ

眠るよ

口から出る言葉徒然

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星空の道を歩く夜の中
私は1人
未来の光も見えない
だけど星空は輝く
私の心を慰めるかのように
そして私もその光導かれるよ
不安はたくさんほしのかずだけ
だけど割と同じ位 それよりもっと
愛に溢れる自分もいる
この幸せをいつもみつめられたらいいのにね
暗い星の中を歩くけれど
家の光は照らされている
その光を灯してくれるあなたを
大切にしたい 大切にしたいのに
大切にできていないそのもどかしさ
あなたが生きているうちに私にできる愛を
わたしはあるく 電線は人間の営みを導く
わたしはあるく
隣の家の横 隣の家のむこう
近づいてくる愛する家族がいる家
暖かい家 満たされる
そして罪悪感と愛の幸せの中に

隣り合わせに生きてる

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16の頃に祖父が他界してから、いつ来るかわからない命のリミットを恐れている。身近なひとが持ってる時間を、自分が邪魔して削ってしまってるような罪悪感を独りよがりに持ちながら生きてしまう。
お互い様であるかもしれないと思っても、苦しくて。
だけどもう、 そんな思いを馳せて過ごしてばかりもいられない。死より生きてる真っ只中
人に対して自分が選択して一緒に過ごしていると考えるように、そういうこともあるのだと、感じて受け取って受け入れて。いまをこの体で生きているのはこの私だ。

自分を受け入れる、、受け入れる覚悟を。もうできるでしょう。
わたしは生きてる。
この身体と さまざまな魂宿る身体を通したやり取りの尊さと、面白さと、形を。しっかりと焼き付けて。

そう、今を。
在る
今を
大切に

希望ヒリヒリ

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近ごろ、自分の踏み外し具合を、何気ない自分の行動や言動から痛感することが多い。 「痛感」という言葉そのままに、自分で発し解いて、自分で行動しといてズタズタと行く。

数年前とにかくツイてない季節を過ごした後、改めて社会に出たわたしは、「負けちゃならん」「生意気なぐらいで行こう」というポリシーをなんとなく持っていた。
だけど社会を生きて行く中で当てはまらなくなってきた。そして、いつの間にか履き違えたポリシーになっていて、自分を正当化する生意気と、「わかったような態度をしておく。」みたいな強がりでムキになったり、空回りに人を侮ったりしていたように思う。
そしてそのズレが、履き違えがとても自分の首も心も苦しめて傷つけてきた。
昨年末から今まで、さまざま出来事などを通して、そのことを自覚した。そして最初に述べた「自分の履き違えの痛感」を体感している。
反省と懺悔と。。。悟りのような今だけど、後ろを、振り向き、痛感してる間にも時間は進んでいくので、前に進まなくちゃ。

まだまだ人生経験も社会経験も少ないのだから、人様を自分の枠に当てはめてみようとしないで、ただただ、 与えていただいてること、差し伸べていただいてることに感謝して、自分が今できる、人のためにできることを常に常に意識して行動していくこと。
自分自身の間違いは素直に認めて謝ること。
感謝のキモチ 嬉しい気持ち 大好きなことは言葉できちんと伝えること。
自分に一番素直でいること、心の声もきちんと聞いて 行動判断すること。

胸と心ヒリヒリだけど、自分が向くべき方向、そして正していくべきこと 道筋が一段とはっきり見えてきて、希望を持ち始めている。

自分第一 そして人がしてくれてること、人のためにできることを常に意識して生活行動を
していきたい。

ちょっとピリッと緊張感のヒリヒリ感の今