傲慢な娘

幼いころや ほんの少し前の10代まで
私にとって 両親は 私の母親で父親
私は子供でした。
暖かく穏やかに守られていた。

3年離れて再び実家にもどった今
私は、変わらず心のどこかで 
自分の弱さを慰め受け入れてくれると
期待していたのかもしれない。

今年は、父も母も家も
家庭の変化 子供のこと 仕事の変化 追われ余裕はなくなっていた。
そして、夫婦の時間となっていた。

分かってたはずでいて そして、夫婦である両親の生活に喜んだ。
それなのに、自分が一杯になればまだ甘えを求め、変化として寂しさを持つ自分がいた。
悔しさと不甲斐なさと弱さと
とても自分が嫌になる


父親は父親の人生を今生きている
母親は母親の人生を今生きている
姉たちもそれぞれの人生を今生きている
私も私の人生を生きはじめようとしている。

それぞれの人生誰のものでもない 
誰が奪うこともない。したらいけない
子供でも

私も私 自分の人生を生きる。
私は変わる家族も変わる
だけど 
娘であること父であること
母であること、かわらない。


偉そうにいえない私は
まだ独り立ちできていない 
支えること以前に支えられぱなしである。

それでもまだ甘えようなんて なんて強欲で勝手な娘なんだ。

変わってしまったなんて嘆くのは
勝手な話だった。


しっかり 自分の人生を仕事を見つける 自分で生きる力を身につけなければ
それを恐れない 弱音は居てるひまも甘えてるひまもない
変われよ自分進めよ自分。 生きるんだ

今は 造られたレールの上からすこしでも、はみ出せるように
新しい方向導けるように。進むんだ。
少しずつ少しずつ