ザラザラモンモン

モンモンなしっとりなザラザラな今日だった

仕事中、上司の「どこの会社に行ってもそうだと思うけど」から始まる指摘を受けて、ムッとなった。
「それはどうなんでしょう?」とおもったから。
言い返そうかともおもったけれど、あなたの常識が社会の常識とも思わないけれど、
私が持っている経験値も少ないから、私が知らないだけかもしれない。そう思って飲み込んだ。


飲み込むと面白い、苦しくて、誰かに話したくなるのだ。そして自分の持論への共感者を欲して
口元、喉、ウズウズする。「自分を正しい」と思おうとする。
さっき、自分の正しさの不安定さを自分で認めたはずなのに。

あの場で言い返していたら、どんな空気になっていたのだろう。
今言わず、自分の中だけで解決させた今の心のザラザラした感覚は、どうなっていたのだろう。
いろんな「もし」が浮かび始める。発してみればよかったのに。ともおもう。

だけど、発しなくてよかったと思う。放ったところでそこから帰ってくる反応に
打ち返す言葉を私は持ち合わせていない。
そして、いま客観的にみている時点でまだ受け入れられているのだ。だから良しとしよう。

と思いつつ 言葉が浮かぶ浮かぶ私の中、これを悶悶というのね。
そして、いつも言葉が浮かびすぎて、会話が吃るのだ。
時には発する必要もあるよね、間違えても後悔しても打たれ怯んでも大丈夫
案外私は強いのよ。浮かぶ私世界もいいもんだけど、
私の中だけで言葉を籠らせても、それはまた世界を生きているのにもったいないこと。
さみしくなるよ。

そんな 仕事帰りは
夕陽が悲しくて優しく美しくて皮肉に感性が気持ちよくなる。
姉さんがくれた お砂糖まぶした柚子のお菓子が心を解していく。
母さんにワガママを言ってしまう自分の幼さに情けなくなる、
無償の愛の大きさに自分の小ささを痛感する

家に帰って、お風呂に入って 犬を撫でて そう、過ごしていくと
いらりも、吃るも、モンモンも遠くなっていく
そして、また明日を頑張ってみよう。と思ってくる。


今はカピカピ乾いて 引っかき傷こさえたみたいな心。
水を注いで眠りましょう
明日浮かぶ心、出てくる言葉、放つ声はなんだろな。


考えないで 今は犬と遊ぶ
似てるようで全然違う同じ社会をすごして帰る恋人を思ってみる